交通安全の願いを込めて④ 事故後の出来事と、高知県でのバス転落事故

「そらいろRoom」の風(ふう)です。

予定の2回を上回って
4回目の記事となりますが
今回で最後になります。

現在進行形で調べていたので
記事を後日修正したり、追記したりしていますが
ご了承ください!

関連記事

■香北交通神社

毎年11月7日には
事故現場の慰霊碑と一緒に慰霊祭が行われている。

関連記事② 若干修正・追記あり↓

■物部川・国鉄バス転落事故

昭和25年(1950年)11月7日
バスが物部川に転落。
34名の死者を出した悲しい事故。

関連記事③ 修正・追記あり↓

■当時の道路状況

当時はどのような道路状況だったのか
少し脱線していますが
色々調べてみました。

事故後の出来事

昭和25年(1950年)11月7日
物部川・国鉄バス転落事故があった後
どのような事があったのか
分かった範囲で記載していきます。

昭和25年(1950年)

11月9日

■当時のバス大栃線を通る七町村長達が
事故の対策や道路の拡張などを申し入れた。

11月10日

■亡くなった方々大半の葬儀が
この日に一斉に行われる。

11月25日

■県道上に祭壇を設け
多くの人が集まり、現地供養を行なった。

■一部の人達は冷たい川に入り
供養の祈りを捧げた。

11月27日

■事故防止対策として
精神状態のテストや車の点検、服装の点検など
いくつか対策を行うようになった。

12月6日

■事故原因の一つが定員オーバーで
あった為、大型新車(店員50名)
を2台配置。

この日から運行する事となった。

昭和35年(1960年)

11月6日

■宝珠寺住職が東西奔走し寄付金を集め
供養塔・地蔵尊を建てる。

句碑について

3つの中の一番左にある
詩が書かれた句碑。↓

ある資料で昭和26年(1951年)の2月14日に
林副総理が建てたという、年表記載の資料があったが
右の2つの慰霊碑(昭和35年)の後に建てられたという
記載もあって、よく分からなかったです。

バスの転落事故が多かった時代

この時代はバスの転落事故が多く
自分が把握しているだけでも
高知県でこれだけの事故がありました。

美空ひばりさんバス転落事故

昭和22年(1947年)4月28日
当時の高知県長岡郡大杉村(現大豊町)
の国道32号線で、当時9歳だった
美空ひばりさんの乗ったバスが転落。
ひばりさんは九死に一生を得るという
大けがをしました。
バスは幸いにも桜の木に引っかかって
下まで落下せずに済んだそうです。

なぜか事故の月が9月だと書いている記事を
多数発見。正しくは4月です。

伊豆田峠バス転落事故

昭和32年(1957年)6月28日
土佐清水市の伊豆田峠付近で
貸し切りバスが転落。
5名の死者(もしくは6名)
重軽傷者も多数出た。

物部村・国バス転落事故

昭和32年(1957年)12月5日
大栃行きの通学バスが、12m下の谷へ転落。
不幸な事に、国鉄バス転落事故の
大栃線につながっている道で事故が起きた。
死者が出なかったのが幸いですが
中学生等、29名の重軽傷者を出した。

防ぎきれなかった転落事故

この上の物部村の事故を例に上げますが
今回は路面がゆるんでいたのが
事故原因と言われています。

7年前、国鉄バスの事故があった後
多くの事故対策をしたにも関わらず、
場所は違うものの
近場でも事故が起きてしましました。

当時はそれだけ道も悪く
今、私達が通っている道は
多くの人たちの努力で徐々に
整備されてきた事が分かります。

同じ悲しみは繰り返されてはいけない

今は忘れかけられている
多くの事故達ですが、怖いものと考えず
当時の遺族の方や関係者達が
同じような事を繰り返さない様
願いが込められているのを感じ取って
日々の交通安全に気を付けてもらいたいです。

誤字脱字もあると思いますし
素人の解釈もあり、分かりにくい点も
多々あるかと思いますが
4回に渡り、読んでいただき
ありがとうございました。

参考資料:
■香北町史(1968年版)(2006年版)
■高知新聞
■土佐山田史

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA