交通安全の願いを込めて① 土佐山田町の神社③  香北交通神社

「そらいろRoom」の風(ふう)です。

今回は前回に予告していた
物部川に国鉄バスが転落した
事故についての話になります。

今回はこの事故を知ったキッカケの話
神社の紹介になります。

香北町橋川野の国道沿いにある石碑

私達は2021年に香北町で中古物件を
購入してから、週1、2回は土佐山田町から
国道195号線を使って通っていました。

特に杉田ダム辺りから走る道路は
物部川も見えていつもワクワクしながら通っています。

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■はじめまして

活動内容の紹介☆

通る度に気になった石碑

そして通る度に国道脇にある、
石碑らしきもの
が目に付きます。

気になってネットで調べたのですが
当時は検索にヒットせず
Googleマップにも載っていなくて
結局、半年ほど分からずじまいでした。

四国のみち 杉田休憩所

杉田ダム

そして時間は経ち・・・
ある時、杉田ダムの横にある駐車場
物部川を見ながらお昼のお弁当を食べていました。

手前が山田町方面。奥が物部町方面。↓

実はこの駐車場の道路挟んで反対側には
休憩所らしき建物があります。
何だろうとなり行ってみる事に。↓

電話ボックスが目印の場所。
案内板らしきものも見えます・・・

四国のみち 八王子・さくらのみち

入ってすぐの案内板。↓

下がコケで見えない!!

案内板はよく見えませんが
この場所は、ここから
土佐山田駅まで続くハイキングコース。

杉田休憩所

休憩所もあります。↓

案内板もそうですが
ちょっと、手入れされていなくて
使いにくそうです(*‘ω‘ *)

そしてこの休憩所の手前に
神社と慰霊碑がありました。

香北交通神社と慰霊碑

手前にあった神社と慰霊碑。↓

道路から入って左にあります。
道路からは樹木で全然気づきませんでした。

一番奥には慰霊碑

神社で隠れて気付きにくいですが
奥には慰霊碑が。

数名のお名前があったので
杉田ダムの建設時の慰霊碑だと思われますが
調べても分かりませんでした。

この神社が建てられた理由

名前は「香北交通神社」
名前からして比較的新しい神社でしょうか?

その場で調べててみて
一瞬、言葉を失いました。

■昭和25年(1950年)11月7日
香美市香北町橋川野付近の国道195号線で
国鉄バスが物部川に転落し
34人が死亡、29人(所説あり)が

重軽傷を負う事故があった。

■昭和32年(1957年)に事故現場近くに建設。
昭和45年(1970年)に現在の場所に移転。

■国鉄バス事故で亡くなられた方34名と
旧香美警察書管内で亡くなられた方を合わせて
325人の方が祀られている。

道路沿いにあった石碑は供養塔だった

この香北交通神社を調べて
初めて国鉄バス転落事故の事
道路沿いの石碑は供養塔であった事が分かりました。

ちなみに神社の隣にあった慰霊碑は
数名だけの名前だったので
関係があるのかはちょっと分かりません。
(知っている方がいたらコメントください。)

この後、詳しく書かれている記事を
見つけたのですが
自分でも少し調べてみる事にしました。

書くか書かないか迷った出来事

私達はこのブログとHPを通じて
香美市、特に香北町へ移住を検討している
方へのアピールもかねて、このブログを書いています。

正直、この事故の話をして
怖くなったり、悪い印象を持たれるのではないか?
・・・と思い、この記事を書くのに悩みました。

しかし、この香北で中古物件を購入し
現在リノベーションをしている中
この香北町とご縁があった事。

そしてブログという媒体で
伝える手段を持っているのならば
この悲しい事故を伝える必要があります。

実際にこの事故はWeb検索をしても
昔すぎてあまり内容が出てきません。

私はこの事故を伝えて
多くの事故がきっかけで法が改正された事。
道路が整備され状況が良くなった事。
あと事故のない世の中を願い
この記事を書かせていただきます。

この記事は次回にも続きます。

参考資料 ■香北町史(1968年版)(2006年版)

香北交通神社の場所

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